カウンセリングは、公認心理師や臨床心理士などの有資格者であるカウンセラーでなくても誰でもできます。
「この人「なんとかしてあげたい」「放っておけない」という気持ちと、「うんうん」と共感し、まるごと受容しようとする気持ちがあれば、誰でもできるのです。
カウンセリングを行うための前提
カウンセリングを行うための基本的な前提条件として
- 「私がなんとかしてやろう」
- 「教え諭してやろう」
- 「適切なアドバイスをしてやろう」
という気持ちを完全に払拭しておくことが必要です。
相手は、心のエネルギーが著しくおちていますし、心を閉ざしているのです。
そんな人に「いいか、俺がこれからありがたい話をしてやるから、ここに来て座れ。まず座れ」なんてことは通用しません。
「自分に何ができるかわからないけど、まずはこの人の話をじっくり聞こう」という気持ちになっていれば大丈夫です。
カウンセリングにいたるまで
相手は、こちらに心を開いていません。
あなたに話なんかしたくないのです。
それだけ心疲れているわけですから。
その人を「話してみたい」という気持ちにさせなければなりません。
無理やり話させてもカウンセリングにはなりません。
自分から話したいと思ってもらわなければ、心の中のものを引き出すことはできないのです。
どうしたらいいのでしょうか。
私は、「あなたもつらいことがあったんですね。」の一言で、心を閉ざしていた相手が堰を切ったように一気に心の中のものを全部はき出したという経験をしたことがあります。
きっと、それが,その方の心の扉を開けるスイッチを押す言葉だったのでしょう。
どんなボタンがいいのかは一概に言えませんが、
「ちょっと辛そうに見えるね。」とか、
「よかったら、お話を聞かせて」
など、話すか話さないかのボールを相手に持たせておくような言葉が、その人のボタンになることがよくあります。
こちらに話を聞く用意があるよ、ということが伝われば、今はダメでも、後日、「あのね・・・」と話に来てくれることもあります。
カウンセリングでは
相手が話し始めたら、基本的に言葉を挟まずに傾聴します。
「うん。うん。」
「そうなの」
「そうかぁ」
など、話を受容します。
途中で「ちょっといい?」などとアドバイスモードに入るようなことはしません。
また
「それはみんな同じだよー」
「そんなに深刻に思うことないよー」
「それはあなたの思いすごしだよー」
など、根拠のない否定は信頼を失い、話すことをやめてしまうことになりかねません。
また、「それ、よくわかるよ。」というのも、基本的にNGだと思っていたほうがいいでしょう。
言われる方としては「よくあることじゃないの」「大したことないじゃないの」と言われているように思うもので、軽快に言わないほうがいいでしょう。
共感しているようで共感になっていないのですね。
自分の特別な悩み、人には到底わからないほどのすごい悩みを薄められて一般の悩みと同列に扱われている感じがするからです。
このように、思うところがあっても、それを置いておいて、ひたすら話を聞くことが大事です。
一気に30分くらいノンストップで話し続けられることはよくあります。
話すことによって、心を整理している良い状態です。
それをあなたの言葉で遮らないことが大事です。
時には,なにか、一般的にはよくないこととされていることを口に出すことがあっても、心の中ではそんなことは言ってはいけない、と言うことはちゃんとわかっています。
わかった上で、あなたの胸に飛び込んでいるのです。
それまずは受け止めて下さい。
話し終わったら
話が終わったら、本人が自分でクロージングすることが多いです。
こちらがまとめることはありません。相手が自分でまとめてしまうのです。
心が整理されたので,それをなぞっているのです。
その時点で、「わたし何てこと言っちゃったんだろ。そんなことないのにね」と自分で答えを出すこともよくあります。
そうして、最後「ありがと」となるのです。
こちらは何にもいう必要はありません。
感想も言う必要はありません。
「スッキリした?よかった。」だけでいいのです。
もし、アドバイスを求められたら
アドバイスは、求められた時は言うべきです。
求めてもいないアドバイスはいらぬ世話ですから、何かお説教されるなら話さない、ということになるからです。
気をつけておかねばならないことは、「アドバイス」という言葉を使ったからと言って、説得したり、警告したり、諭したりされることを望んでいるわけではないということです。
そんなことを聞きたくてアドバイスを求めているのではありません。
本音では、「私もそう思う。あんたは正しい」と言って欲しいのです。
かといって,無理やり合わせる必要はありません。
あくまで「私なこう思う」という視点で言います。
「あなたはこうすべき」という言い方は、必要とされていません。
アドバイスを求められた時必要なのは、その人に「別の視点を与える」ことであって,「こうすべき」と諭すことではありません。
「そんな考えもあるのか」と、受け入れて貰えばいいのです。
そのあとその人が黙ったら、それは考えているとことです。
その人が考えを広げたり、視点を変えたりするきっかけになったのです。
何も言わずに、無言に付き合ってあげて下さい。
カウンセリングは唐突に終わることがある
テレビや小説のように、ハッピーエンドで終わることは少なく、場合によっては、
「もういい。」
と、ついと立っていってしまったりして、なんだか後味の悪い終わり方になることもよくあります。
後味が悪いからといって追いかけたり、「せっかく話を聞いてやったのにあの態度はなんだ」と怒ったりしません。
最初から、全てそこまで織り込み済みで話を聞きましょう。
「黙って話を聞いてくれた。
思いを全部吐き出した。
こちらの求めに応じる形で考えを話してくれた。そんな考え方もあるのか、と思った。
まだ、消化できないこともあるけど、ひとまず聞いてもらって安心した。
また、いつか話を聞いてもらおう。」
そのように感じていることがよくあります。
私にも、後日改めて話を聞いてほしいと求められたら経験があります。
まとめ
カウンセリングと言うことは、相手に自分の心を移すことです。
ゴールは「あなた」が「相手の行動を正す」ことではありません。
話すことがきっかけとなって本人の心が整理され、「本人が」「行動を変える」ようになることがゴールです。
- 話をするかしないかは相手に任せる。
- 自分の思いを挟まずに聞く。
- 求められるまで考えを話さない。
- アドバイスという意識は捨てる。
- まとめや感想をする必要はない。
kのようなことを知っていることで,有資格のカウンセラーでなくても、カウンセリングはできることがお分かりでしょうか。
捕捉「あなたなたは関係ないでしょ!」が、30分後に「ありがとうございました」に変わった話
数年前のことになります。
ファミリーレストランで壮絶な光景を見ました。
結構年の行ったご婦人が、その方のお母様であろうと思われる年老いたを連れて入ってきました。
二人が席に着いた途端、ご婦人がお母様を罵り始めたのです。
「聞いてるの?」
「何頼む?って言ってるやないの!」
など、小声ですがかなりの剣幕です。
周りの人はひいています。
そっと席を離れる人もいました。
わたしも「やだなー。静かに食事をしながら週次レビューをしていたのに、なんだか台無しだなー」と思いました。
すると、ご婦人がお母さんに手を出したのです。頭を叩いたのでした。
黙っておれなくなって、「やめてください。公の場ですよ。周りで人が見てますよ。心が痛くなります。」と言いに行きました。
案の定すごい怒りがわたしに注がれました。
「あんたには何にもわからないでしょ!何にも関係ないのにほっといてください」と怒鳴られたので,
「関係ないことはありません。これ以上、叩いたりするなら通報しますよ」と言いました。
その後「わかりましたよ!」といったので、こちらも元の席に戻りました。
そこからが大変でした。
さらにエスカレートしだしたのです。
「そもそもあんたがこんなだから、あんなわけのわからない人から注意されなきゃならないでしょ!」と興奮しています。
これはやばいなぁと思いました。
でも,話を聞いていると、その方もいろいろ苦労されて来たんだなということが、言葉の中からわかりました。
もう、わたしがいない方がいいかと、思い、席を立ちました。
横を通り過ぎる時に、「僕は帰ります。」と言いました。
向こうはわたしを睨みつけています。
でも、そのあと、一瞬でその顔が変わったのでした。それはわたしの次の言葉でした。
「あなたもつらいことがあったんですね。」
そのとたんに、その方はわたしに堰を切ったように話をし始めたのです。
自分がいかにこの母親から酷い仕打ちを受けてきたか。
いかに大変な状態を今に招いたのか。
認知が入った今でも私を苦しめていること。
次から次へと止まることなく話し続けます。
わたしは「これはもう聞くしかない」と腹をくくってその席に座り、後はひたすら話を聞きました。
「そうですか」
「そうなんですか」
おそらくその言葉しか使ってなかったでしょう。
徹底的に吐き出させなくてはと思っていたと思います。
話出して30分ほどしたこら、トーンはもう十分に下がっていました。
そして、自分でクロージングを始めたのです。
「わたしもね。こんなところで自分の母親に手を出すなんてことはしてはいけないと思っています。本当にごめんなさい」
私は謝らせようなんて思っていません。
わたしはただ聞いていただけてます。
それだけで、「関係ないでしょ」から「ごめんなさい」に変わる。
すごい経験でした。
人は、受容されると、理解してもらえたと思うのです。
私は
「それでは私は帰ります。お母さん、僕みたいに話を聞いてくれる人を近くで探したらどうですか?辛いことがあったら、その方に話せばいいですよ」というようなことを言いました。
そうしてレストランのドアに手をかけた時、そのご婦人が席を立ってわざわざ私のところに来て、深々と頭を下げて言われました。
「ありがとうございました」
私は帰りながら,強く思いました。
人間は,いったん話を聞いてもらえると思ったら,ここまで心を開き,変われるものなのか,と。
人間は心に苦しさを抱えていても、言葉にして吐き出してしまう事でここまで変わるのです。
その方の最後の「ありがとうございました」と言った時の笑顔は、素晴らしいものでした。
共感して話を聞くということには、素人であってもこれだけの力があるのです。
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よろしければご覧ください。
コメント
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