鬱の発症要素満載の私が,鬱にならなかったわけとは

みなさん。「鬱」の方の気持ちやつらさ,わかりますか?

僕はとてもわかりません。いっしょによりそっているつもりでもわかりません。

その症状になったらどれほどつらいのか,こればかりはわかりません。

 

でもこのままじゃ「鬱」になる・・・と思った経験は幾度となくあります。

上司の前で起立して指導を受けているとき,ひざががくがくし始め倒れそうになったことがあります。

心臓がドキドキし始め,血圧が上がっていることが自分でもわかったほどです。

そうとうやばい状況です。

 

しかし,それから数年たちましたが,結果的に私は鬱にならずに済んでいるようです。

どうして私が鬱にならずに済んでいるのか,当時からしばらくたったので,改めて考えてみたいと思います。

何か参考になることがあるかもしれません。

(この記事は,知的生活ネットワークの記事でしたが,こちらの記事とした方が適切だと考え,移動してきました)

鬱の入り口あるある

  •  仕事場で、ジャブのようなダメ出しを毎日繰り返される。(どんどん自己肯定感がなくなる)
  •  「期待している」と言われ、もしくは「できないんだったら私が代わりにやろうか」と言われて、「それは難しくてできません」という気持ちに蓋をしてなんとかやり遂げる。
  •  時に褒められてもしたら、「やっぱり、俺はできる人間なんだ!」と思って無理して突っ走る。やっていると確かに充実感があり、楽しくてたまらない。辛いと思うことでもそれをねじ伏せて楽しいと思う。実際楽しい。
  •  金曜日の夜になると、心臓がばくばくする。なぜって、月曜日のことを考えて憂鬱になっている日曜日の自分のことを考えると・・・・・・

どうでしょうか?「鬱の入り口あるある」が全てはいっていますよね。

これを私は何年もやって来たわけです。

では,なんでそんな私が鬱になっていないのでしょうか。

鬱要素満載の私がなぜ鬱になっていないのか

うつぬけを読んで全く分からなかったのが、こんな鬱要素満載の私がなんで鬱になっていないのか、ということ。

 

メルマガで書評を書くために,今回改めて読んでみて、一つの結論を持つに至りました。

それは、わたしが「また何か始めた!」人間であることです。

 

このわたしのブログ「知的生活ネットワーク」を読んで下さっている方は、下の天真爛漫なマスコットキャラクターが,「また何か始めた」とか、「ヲー」とか叫んでいる声を何度も聞いておられることでしょう。

そして、「この男は鬱なんぞとは対象的な全く縁のない人間だ」、と思われているはずです。

 ↓これです

まさにそこ。

わたしは、「できる(と思っている)わたし」「仕事が楽しくて仕方ないわたし」「でも、毎日のようにジャブを、受け続けているわたし」です。

それもわたしですが・・・

「また,何か始めた」が大事

でも、「別のわたし」も持っている

上のキャラクターのように,天真爛漫な表情で「また何か始めた」「ヲー!」と言って呑気にしているわたしです。

このもう一人のわたしのおかげで、わたしは鬱になり損ねているのではないか

「うつぬけ」のなかにこんな言葉がありました。

 「新しいことを始めることで,悩みの面積を相対的に小さくする」

わたしはいろんなことを始めて楽しんでいることで、辛い自分を相対的に小さくして来たのではないでしょうか。

逃避上等!

これを「逃避」という言い方もできるでしょう。

でも、逃避上等

逃げるが勝ちです。

何かワクワクすることを始める。

それが続くかのか、なんのためにやるのか、そんなことは考えない。

今やりたいからやる。

後のことはわからん。

そうやってワクワクし続けることで、辛いわたしが小さくなっていく。

 

人それぞれで、とてもそんなことでは抜けられないという人もいるでしょう。

でも中には抜けられる人もいるかも知れない。

そう思ってこの記事を書きました。

 

うつぬけ